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<ノベル>
昇太郎は半ば瓦礫に埋もれながら黙々と手を動かしていた。事務所の主であるミケランジェロは「めんどくせェ」と言い残してふらりとどこかへ行ってしまったから、一人でやるしかなかったのだ。
マスティマとの戦いでベイエリアは大きな被害を受け、倉庫街の片隅にある掃除屋『M-A』も倒壊した。その修繕を昇太郎が一人で行っているところなのだが、いかに常識外れの膂力を持つとはいえ倒壊した事務所を一人で建て直すのは至難の業である。とはいえ彼がそれで文句を言うわけもなく――ましてやミケランジェロの力を使えば簡単に事が済むのにとぼやくわけもなく――、地道に、着衣の汚れに頓着することすらなく土木作業を続けているのであった。
切りのいいところで手を休め、休憩がてらに港まで歩いて行く。
絶望に占められていた天球は綺麗に晴れ渡った。今は青い海の上に青い空が広がり、彼方の水平線までもがはっきりと見通せる。平凡な、しかし穏やかな景色を見つめながら昇太郎は色違いの瞳を細めた。
街は痛手を受けた。それでも広がる風景はこんなにも静かだ。これがこの場所の本来の姿なのだろう。
魔法がかかる前もこんな景色が広がっていたのだろうかと、ふとそんなことを考えた。
「……さ、戻らんとな」
魔法が消えた後はどうなのだろう。そんな感慨に意識を引っ張られそうになって、わざと声に出して踵を返す。
だが、昇太郎の足はすぐに止まることとなった。
――港の倉庫の影から、一見してムービースターと分かる“彼女”が姿を現したのだ。
絹の如き滑らかな白銀の髪、限りなく薄いエメラルドグリーンの瞳、白磁のような肌――。
ネヴァイア。
現れる筈のない女の名が真っ先に脳裏に浮かんだ。
「……あ」
彼女も呆気に取られているようだ。外見は二十代後半といったところか。彼女のほうも昇太郎に見覚えがあるのだろうか?
(違う)
しかし昇太郎はすぐに気付いた。彼女が瞬きをする度、薄い緑の瞳は万華鏡のように色合いを変える。それに、この不可思議な髪の毛の色といったら。水か砂のようにさらさらと流れる銀糸は、毛先に近付くにつれて赤、橙、翠と美しくグラデーションを描いていく。
ここは銀幕市。魔法の街。誰かと同じ姿の誰かがいても不思議ではない場所。
演じた俳優が同じなのだろうと思い至った時、彼女が昇太郎の知らない誰かの名前を呼んだ――気がした。
「――許さない」
呻くように押し出した彼女の瞳に熾火のような灯(ひ)が入った。美しい容貌には似つかわしくない、あまりに激烈な感情だった。
「許さない!」
繊手に二振りの刀を握り、彼女は喚くように叫んで地を蹴った。
アルトは完全に我を見失っていた。目の前にいるオッドアイの青年が、自分を護り切れなかったあの男だと信じて疑わなかったから。
ガラスのように透き通った銀の刃と、蛍石よりも美しい薄翠の刃。美麗な双刀を操り、奇跡よりも美しい女は容赦のない剣戟を繰り出す。
「どうして」
ひらり、ひらり。
双刀の柄から伸びる長い布が羽衣のように翻る。
「こんな所に」
しゃらん、しゃらん。
布の先に取り付けられた鈴が涼やかに鳴り響く。
美しい光景だった。優美な舞を踊っているかのようだった。しかし、不思議な双眸の中で燃えているのは紛れもない憎しみの色だった。
「あなたは――!」
感情が弾ける。
目の前の青年は得物を抜こうとしない。「待て」や「違う」などと繰り返しているようだが、それすら今のアルトには届かない。
刀の切っ先が青年の前髪を掠めた。はらりと舞い落ちる髪は、銀。青年の黒髪の中には一筋だけ銀色が混じっている。そう、アルトの髪の毛と同じ色が。
なぜ同じなのかと考えたら、言いようのない情動が衝き上げた。
「アルト!」
凛とした、しかし幼い少女の声が自分の名を呼ばわる。はっとして顔を上げた瞬間、唐突に一陣の風が巻き起こった。
「――――――!?」
ガ、キンッ!
振り下ろした双刀が派手な火花を撒き散らす。
颯のように走り込んで来たツナギ姿の男が、細身の刀を抜いてアルトと青年の間に身を滑り込ませていた。
「……何モンだ、テメェ」
仕込み刀で双刀を受け止め、猫背の男は不機嫌そうに舌を鳴らした。
「アルト。あなた、何やってるの」
ルーチェはようやく娘を見つけて駆け寄った。こんな時だけは己の体がもどかしい。七歳児の肉体では成人のように機敏に動くこともままならない。
母親であるルーチェ――といっても、事情を知らぬ者はルーチェが母でアルトが子だなどとは思うまい――の姿を認めたアルトはようやく刀を下ろした。黒ツナギの男もそれを確かめてから得物をおさめる。
「何じゃ。誰かと勘違いしとったんか?」
オッドアイの青年だけがわけが分からずにぽかんとしている。
間近で彼を見たルーチェは思わず息を呑んだ。同時に、アルトが彼に刃を向けた理由も直感的に理解した。
目の前の青年は、人間であった頃のルーチェの夫と同じ顔をしている。
「あー……まァ、何だ」
何かを察したのか、煙草をくわえた男はがりがりと頭を掻いた。
「おまえらの事情は知らねェが、多分、この男はおまえの知り合いでも何でもねェ筈だ」
「え」
「スターだろ、おまえら。俺もこいつもそうだ。ちょっと込み入った話なんだが……」
恐らく俳優が同じなのだと。だから同じ姿をしているが、別人であるのだと。ツナギの男は簡潔にそう説明した。
目の前の青年はルーチェの夫ではなく、昇太郎という名の、別の世界からやってきたまったく別の人物。夫と同じ顔をしているのは、夫を“演じた”役者が昇太郎を“演じた”役者と“同じ”だから。何とも不可思議なロジックだが、納得しなければならないのだろう。
「俳優が同じってェのは因果なもんだ……が、あんまり気にしねえほうがいい。この街じゃ時々あることだ」
自らも覚えがあるのか、ミケランジェロと名乗った男は面倒くさそうに話を結んで煙草をくわえた。
「演者が同じ……。そう。そうなのね」
ルーチェは己に言い聞かせるようにそう繰り返した。アルトはまだ腑に落ちていないようだが、攻撃の意志だけはおさめたらしい。
アルトの母親としては複雑な気持ちだった。ルーチェの夫は即ちアルトの父。ルーチェは今も彼を愛しているが、アルトは彼を憎んでいる。
「済まんの。何やらややこしいことになってしもて」
「い、いいえ。あなたが謝ることなんかないわ」
心底済まなそうに眉尻を下げる昇太郎にルーチェは慌ててかぶりを振った。
「こちらこそ、いきなりごめんなさい。ほらアルト、あなたもちゃんとお詫びして」
「……ごめんなさい」
アルトはまだ得心しかねるようで、渋々といった様子で謝罪の言葉を口にした。無理もない。外見は二十七歳でも中身は七歳の子供だ。
成人の姿を持つアルトが七歳児の外見のルーチェに促されて謝る様子は不自然ではある。ミケランジェロと昇太郎も訝しんだようだったが、この街ではよくあることだと知っているのか、特に疑問を口にすることはなかった。
「本当にごめんなさい。怪我はない? 服もだいぶ汚れてしまったわね」
「ん、ああ、大丈夫じゃ」
ルーチェの問いに昇太郎は屈託のない笑みで答えた。「服は元から汚れとったけぇ、気にせんといてくれ」
「何やってたんだ、そんなに汚れるまで」
「事務所の瓦礫よけとったんじゃ」
「はァ? 一人でか? 呆れた奴だな」
「ミゲルがめんどくさいゆうていなくなるから……」
「あの。ちょっといいかしら」
昇太郎とミケランジェロのやり取りをルーチェが控え目に遮った。
「事務所とか瓦礫って、どういうこと? もしかして、マスティマ戦の被害を?」
「ああ。うちの事務所が倒壊しちまってな」
「それじゃ、お詫びに修繕のお手伝いをさせてもらえないかしら」
「手伝いって、アンタがか?」
目をぱちくりさせる昇太郎にルーチェは微笑みながら「ええ」と応じた。
まるでDVDを巻き戻しているかのようであった。
砕け散った外壁が、折れ曲がった鉄柱が、砂のようになった窓ガラスが。ありとあらゆるものが時間を逆行するかの如く宙を舞い、ジグソーパズルのように組み合わせられて掃除屋の事務所を形作っていく。
そんな現実離れした現象の中心に居るのはルーチェであった。
独唱するオペラ歌手のように背筋を伸ばし、手を胸に当てて『回帰の歌』を紡ぐ。小さな体全体から発せられる歌声はまさに天使のよう。少女そのままに幼く、けれど水晶のように澄んでいて、陳腐な言い方をすれば奇跡のように美しい。
「へェ」
ミケランジェロはかすれた口笛を吹いた。銀幕市ではこういった能力も珍しくはないが、ここまで美しい光景にはそうそうお目にかかれないだろう。
倒壊した事務所は歌声に乗って時間を遡り、あっという間にかつての姿へと回帰した。
「おおきに。助かったわ」
人懐っこく笑う昇太郎からアルトはふいと目を逸らした。ミケランジェロから説明を受けて一応は納得したが、複雑な感情を拭い去れたわけではない。
ちちちという軽やかな声に顔を上げると、昇太郎の肩の上に止まっていた美しい鳥がアルトの方へ飛んでくるところだった。
「あら」
アルトは整った顔の上に幼い微笑を広げて手を差し伸べた。ステンドグラスのような精緻な模様がえがかれた爪の上に鳥が止まり、そのまま腕を伝って肩へと登ってくる。鳥の小さな爪が腕の上を歩く感触がくすぐったくて、アルトは思わずくすくすと笑い声を上げた。
「お前以外の奴にもなつくんだな、あの鳥」
「こげになつくんは初めてかも知れん。……同じ姿じゃから、かの」
アルトの頬に顔をすりつける鳥を眺めながら昇太郎はそっと目を細めた。
目の前のアルトは“彼女”ではない。だが、“彼女”と同じ顔のアルトが嬉しそうに鳥とじゃれる姿を見ていると自然と心が穏やかになる。
「ねえ。ほら、見て。可愛い」
アルトはスカートの裾を翻しながら無邪気にルーチェに駆け寄った。美しい手で鳥を撫でるアルトの表情は幼い少女のようだったし、彼女を見守るルーチェの顔は慈母そのものだ。
そんな二人を見ていたら自然に口元がほころんで、昇太郎は思わずアルトに「なぁ」と声をかけていた。
「アンタ、幸せか? この街に居て」
そして、ごくごく自然にそんな問いが口をついて出た。
思いがけぬ言葉にアルトは目をぱちくりさせたが、すぐに答えた。
「幸せよ。当たり前じゃない」
今更そんなことを聞くなとでも言いたげな突っ張った口調であったが、彼女は心からの笑顔を浮かべていた。
――やはり、アルトの微笑みはネヴァイアと重なる。
彼女によく似た少女が「幸せだ」と断言し、笑っている。
ネヴァイアは魔法によってキラーと化した。目の前のこの情景も魔法がもたらしたものには違いない。夢の魔法がくれた、小さな、温かい奇跡。
ふと、胸の辺りにぽっと灯が入ったような気がした。魂の内に在る彼女が、心をそっと抱き締めてくれたような気さえした。
「そか」
昇太郎は屈託のない、しかしわずかにはにかんだような笑みを返した。
「俺も嬉しいわ」
「どうしてあなたが喜ぶの?」
「ん。ええじゃろ、別に」
「変な人」
鈴のような笑い声を転がすアルトの肩で鳥が嬉しそうにさえずっている。
「……まァ、何だ」
相変わらず猫背のまま煙草をくわえ、ミケランジェロが誰にともなく呟いた。
「悪かねェよな、こんなのも」
「ええ。そうね」
傍らのルーチェも静かに肯いた。親は子の幸せを願うもの。アルトが「幸せだ」と言ってくれたことを何より喜ばしく思う。
アルトの笑顔を見ていると映画の中で用意された筋書きすら忘れそうになる。母娘で殺し合わねばならないことなど、遠い国のおとぎ話のように思えてくる。
「あなたも幸せそうね」
「あん?」
「だって、とても優しい顔で彼を見つめているもの」
それは心からの言葉だったのだが、ミケランジェロは唇をへの字にひん曲げて舌打ちした。そんな彼の態度がおかしくて、ルーチェはまたくすくすと笑う。
「大切にしているのね、彼のことを」
「……お前には負けるんじゃねェのか」
「気持ちに優劣なんてないわ」
「だな」
波打った髪の毛をがりがりと掻きむしり、ミケランジェロはまんざらでもなさそうに唇の端を持ち上げた。
巨大な絶望との対峙を終え、穏やかな時が戻ったかに見えたある日の、小さな邂逅だった。
魔法の終わりが告げられるのは、これよりほんの数日のちのことになる。
(了)
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クリエイターコメント | ご指名ありがとうございました、いつもお世話になっております。 長らくお待たせいたしました…。
前半はちょーっとシリアスになってしまいましたが、後半のほのぼの具合を楽しんでいただければ幸いです。 大切な相手と同じ姿の人。違う人物なのだと分かっていても、やはり無意識に意識して(?)しまうものだと思います。
ゲリラ窓を捕まえてくださり、ありがとうございました。 いつかまた、どこかで。 |
公開日時 | 2009-07-30(木) 18:30 |
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